7月最初の土曜日、新琴似神社に夏越大祓の幟が立っていた。一年の半分が過ぎたらしい。そう言われても、まだ実感はない。けれど境内には風鈴があり、紫陽花があり、その向こうには屋台が並んでいた。夏は、もう始まりかけていた。
今日の行き先
訪問日:2026年7月4日(土)
場所:新琴似神社
天候:晴れ
移動手段:BMW 320d
カメラ:Sony α7 V / FE 24-70mm F2.8 GM II
参道の奥へ

鳥居の先へ進む。木々の間から西陽が差し込み、参道の地面にまだらな光を落としていた。
真昼の光とは少し違う。強さはあるのに、どこか傾いている。影が長くなり始める時間だった。
境内へ向かって歩く人。立ち止まる人。子どもの声。そのすべてが木々の下を通り過ぎていく。
神社は静かな場所だと思っていた。けれど、この日は少し違った。静けさの中に、人の気配があった。
その先で、狛犬がこちらを見ていた。
狛犬、境内の番人

横から差す光が、石の彫りを深く見せていた。たてがみの巻き毛。開いた口。強い眼差し。正面から見るより、少し怖かった。
カメラを向ける。石なのに、光が当たるだけで表情が変わる。角度を変える。また違って見える。
写真を始める前なら、たぶんそのまま通り過ぎていた。
境内に灯るもの

拝殿の脇には、提灯が下がっていた。紙を透かした光は柔らかかった。外の西陽とは違う色をしている。昼でもない。夜でもない。その中間にあるような光だった。
境内の中を歩いていると、目に入るものが少しずつ変わっていく。大きなものより、小さなもの。建物全体より、角に残った光。目立つものより、少し外れた場所にあるもの。
カメラを持つようになってから、そんなものを見る時間が増えた。
風鈴の音を追う

境内には、風鈴が吊るされていた。色の違うガラスが、西陽を受けて光っている。赤。青。透明。短冊も、それぞれ違う色をしていた。
風が吹くたびに揺れる。音は一つではなかった。少し高い音。少し低い音。すぐに消える音。あとから重なる音。
カメラを向ける。でも、音は写らない。写るのは光と色と形だけだ。それでもシャッターを切った。そのとき聞こえていた音まで、あとから思い出せる気がした。
夏越の涼

手水舎には花が浮かんでいた。水の中に色があった。花があり、光があり、その間を水が静かに満たしていた。
外は暑い。西陽もまだ強い。それなのに、そこだけ少し温度が低いように見えた。手を伸ばせば冷たそうだった。
風鈴の音。水。花。夏の神社には、涼しさを作るものがいくつもある。気温そのものが下がるわけではない。それでも、少しだけ呼吸が楽になる。
今日の一枚

今日の一枚は、風鈴にした。
色の違うガラスが、西陽を受けて光っていた。赤。青。透明。短冊も、それぞれ違う色をしていた。
音は写らない。それでも、あの日聞こえていた音まで、あとから思い出せる気がした。
鳥居の外は、もう夏祭り

境内の外には、屋台が並んでいた。くじびき。フルーツ飴。お好み焼き。たこ焼き。
さっきまで聞いていた風鈴の音は、もう聞こえない。子どもの声。人の話し声。何かが焼ける匂い。
同じ神社なのに、少し歩いただけで空気が変わった。境内の中には、光と影があった。外には、人の気配があった。夏祭りという言葉が、ようやく現実のものになった気がした。
夏がはじまる日

帰る前、白い紫陽花が目に入った。屋台の色に比べれば、ずいぶん静かだった。風鈴よりも、提灯よりも、目立たない。それでも足が止まった。
六月が終わり、七月が始まった。春でもない。真夏でもない。その境目に咲いている花だった。
半年分の穢れを祓い、また次の半年へ進む。風鈴が鳴り、屋台が並び、紫陽花がまだ残っている。新琴似神社には、いくつもの季節が同時にあった。
夏は、ある日突然始まるわけではないのかもしれない。気づかないうちに少しずつ近づいてきて、ある日、こちらがそれに気づく。今日は、たぶんそんな日だった。
エンジンをかける。バックミラーの中で、神社が少しずつ遠くなる。今日の景色をひとつ持ち帰る。
道は、まだ北へ続いている。
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